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夏休みの昼過ぎ、わたしは部活帰りだった。
いつもの道をいつものように歩いていると、シャッターの閉まった材木工場の前で工作にいそしむ男の子をみかけた。
「ここで何してるの?」
「お姉さん、高校生?」
そうだよ。
わたしは答えた。
楽器を作ってる。
男の子は答える。
「どんな楽器?」
それは不思議な楽器だった。節で上下がふさがれた竹の、片方に十円玉くらいの穴が開いていて、竹のまわりをまいたたこ糸が穴から中におりていた。
「どうやって使うの。」
好奇心で男の子に聞いてみた。
「たこ糸の先にビー玉がついていて、竹を回転させることでビー玉がこすれて音が出る。」
男の子はそう答える。
ふうん。わたしはそう言って、そのままじっと男の子の作業を観覧していた。
「それ、夏休みの宿題?」
私はなんとなく聞いてみた。
「違う。」
男の子はそれきり黙ってしまう。
「ねえお姉さん。」
「ん?何?」
「お姉さんが普段何気なく頭の中で考えてることそのままの内容がさ、もっとわかりやすく本とかに書いてあったらどうする?」
2分ほどの沈黙の後、男の子がいきなりそんなことを尋ねてきた。目線は相変わらず手元だけど。
どうするだろ、と考えてると男の子はわたしを無視して続けた。
「そういう時ってさ、作者が自分をよく知ってて、自分の気持ちを代弁してるみたいに感じるんだよな。」
男の子はふと視線をあげてそう言った。視線の先では古い選挙のポスターが日本の未来を宣言していた。
「でもさ、その作者は俺のこと知らないし、俺が何考えてるかなんかわかりっこないんだ。俺のために書いてるわけじゃない。そうだろ?」
そうかな、と思ったけどとりあえずわたしは黙っていた。
「それなのに、自分はその人と友達になったような気がしちゃうんだ。その人が自分のことを、もしかしたら世界で一番わかってくれる。そこでお姉さん、もしその人が死ねって書いたら死ぬ?」
いや、とわたしは答える。
「死ぬのはわたしの勝手だもん。そいつに決められる理由なんてこれっぽっちもないね。」
わたしは胸をはる。
男の子はわたしのささやかな胸にはいちべつもくれずに言う。
「そう、それで死ぬのは馬鹿だよ、でも、その人がたとえば『整頓された机は整頓された脳を意味する』とか言ったらちょっと机を片付けようって思っちゃうだろ?」
う、そうかも。とわたしは言った。頭に漫画で陥落した自分の勉強机がよぎる。
「文字には不思議な力がある。これ、ドラマのセリフだけどさ、文字ってそうやって人に働きかけることができるんだよな。」
なるほど。
「それで、どうしてそんな楽器を作ってるのよ。」
わたしは話のきっかけを思い出して尋ねた。
「お姉さん、ヴァイオリンやってるんだろ。」
「うん。よく知ってるね、これがバイオリンケースだって。」
わたしはその子のヴァの発音がちょっといいなと思いつつ言った。
「友達がやってるんだ。それはどうでもよくて、お姉さんはプロのヴァイオリニストの演奏聞いて感動するだろ?」
「そりゃ、まあね。」
「音ってのは響きだろ。文字も響きさ。たとえ活字を読んだとしても、絶対頭にその言葉が響くようになってる。人間の頭の骨は共鳴するようにできてる。人間が言語を習得したのは頭蓋骨のせいだっていう学者がいるくらいなんだぜ。響きが感動を生むんだ。それだけじゃない。悲しみや喜びも響きで伝わる。事実そうやってお金を稼いでる、アーティストみたいな人がいっぱいいるだろ。」
うん。
「それとこの楽器がどう関係するのよ。」
「響きで人を操れると思うんだ。」
男の子は再び顔をあげて言う。
ふうん。わたしは答えた。
「響きで人を操って、どうするの?」
「世界征服。」
男の子は何のためらいもなくそういった。
男の子の世界征服が成功しないように、わたしは今日もヴァイオリンを練習している。