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帰り道に金魚を拾った。街灯と見分けられないくらい月が大きく明るい夜だった。電柱の短い影の中にうずくまっていた小さな金魚を私は拾った。両手で。
部屋までたどりつくと金魚の世話は右手にさせて、左手ではコップに水を張った。コップの底にひとつ、透明なビー玉を落とした。そして金魚をコップに移した。崩さないよう慎重に移した。
という設定。
にあの子も乗ってくれていて、私たちは毎日ふたりで金魚の世話をした。毎朝コップの水とビー玉を替える。ふたりともが大学に行っているあいだも、部屋を真っ暗にはしないようにする。毎晩クラシック音楽を聴かせる。
「喜んでる?」とあの子が訊ねる。選曲はぜんぶあの子に任せていた。
「喜んでるよ」と私は答える。私はだいたいの曲を気に入ったけれど、金魚は不満そうにすることも多かった。
そういう日々が続いた。
好きなものや嫌いなもの、動作や表情、人間のことばの中で意味のわかるもの。金魚の設定はどんどん増えた。後からなかったことにした設定もあった。私たちふたりはまったく金魚の神様だった。
「金魚が死んだ」とあの子が言ったのは、私のほうが遅く帰った夜だった。
「やたら水面をつつくからビー玉をまた替えてやろうと思ったの。古いビー玉を取り出すまではよかったんだけれど、新しいのを落とすときに、それが金魚にぶつかってしまった」あの子はそう説明した。
「それは残念だったね」私は言いながら冷蔵庫の扉を開け、ケチャップを取り出した。ビー玉と、金魚の動かなくなった透明なからだが横たわるコップの中に、ケチャップをちょっとだけこぼす。コップを持ち上げて少し揺らすと、ケチャプの糸がはらはらと崩れた。
「それは?」とあの子が訊ねた。
「リアリティ」と私は答える。
薄いケチャップ水をふたりで交互に飲んだ。ビー玉だけ残った。埋めようとあの子が言うからそのビー玉だけは台所のネギのところに埋めた。他のビー玉はまだ部屋中に散らばっている。あの子とは別れちゃってもう一緒に部屋に居ることもないから、どうせあと少しの命だったよなあ金魚、と思う。
透明なからだ あたしたちがまざりあっても誰も気づかないんだ
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