2010年5月23日日曜日

05 : ビー玉


夏休みの昼過ぎ、わたしは部活帰りだった。
いつもの道をいつものように歩いていると、シャッターの閉まった材木工場の前で工作にいそしむ男の子をみかけた。


「ここで何してるの?」
「お姉さん、高校生?」
そうだよ。
わたしは答えた。
楽器を作ってる。
男の子は答える。
「どんな楽器?」
それは不思議な楽器だった。節で上下がふさがれた竹の、片方に十円玉くらいの穴が開いていて、竹のまわりをまいたたこ糸が穴から中におりていた。
「どうやって使うの。」
好奇心で男の子に聞いてみた。
「たこ糸の先にビー玉がついていて、竹を回転させることでビー玉がこすれて音が出る。」
男の子はそう答える。
ふうん。わたしはそう言って、そのままじっと男の子の作業を観覧していた。


「それ、夏休みの宿題?」
私はなんとなく聞いてみた。
「違う。」
男の子はそれきり黙ってしまう。


「ねえお姉さん。」
「ん?何?」
「お姉さんが普段何気なく頭の中で考えてることそのままの内容がさ、もっとわかりやすく本とかに書いてあったらどうする?」
2分ほどの沈黙の後、男の子がいきなりそんなことを尋ねてきた。目線は相変わらず手元だけど。
どうするだろ、と考えてると男の子はわたしを無視して続けた。
「そういう時ってさ、作者が自分をよく知ってて、自分の気持ちを代弁してるみたいに感じるんだよな。」
男の子はふと視線をあげてそう言った。視線の先では古い選挙のポスターが日本の未来を宣言していた。
「でもさ、その作者は俺のこと知らないし、俺が何考えてるかなんかわかりっこないんだ。俺のために書いてるわけじゃない。そうだろ?」
そうかな、と思ったけどとりあえずわたしは黙っていた。
「それなのに、自分はその人と友達になったような気がしちゃうんだ。その人が自分のことを、もしかしたら世界で一番わかってくれる。そこでお姉さん、もしその人が死ねって書いたら死ぬ?」
いや、とわたしは答える。
「死ぬのはわたしの勝手だもん。そいつに決められる理由なんてこれっぽっちもないね。」
わたしは胸をはる。
男の子はわたしのささやかな胸にはいちべつもくれずに言う。
「そう、それで死ぬのは馬鹿だよ、でも、その人がたとえば『整頓された机は整頓された脳を意味する』とか言ったらちょっと机を片付けようって思っちゃうだろ?」
う、そうかも。とわたしは言った。頭に漫画で陥落した自分の勉強机がよぎる。
「文字には不思議な力がある。これ、ドラマのセリフだけどさ、文字ってそうやって人に働きかけることができるんだよな。」
なるほど。
「それで、どうしてそんな楽器を作ってるのよ。」
わたしは話のきっかけを思い出して尋ねた。
「お姉さん、ヴァイオリンやってるんだろ。」
「うん。よく知ってるね、これがバイオリンケースだって。」
わたしはその子のヴァの発音がちょっといいなと思いつつ言った。
「友達がやってるんだ。それはどうでもよくて、お姉さんはプロのヴァイオリニストの演奏聞いて感動するだろ?」
「そりゃ、まあね。」
「音ってのは響きだろ。文字も響きさ。たとえ活字を読んだとしても、絶対頭にその言葉が響くようになってる。人間の頭の骨は共鳴するようにできてる。人間が言語を習得したのは頭蓋骨のせいだっていう学者がいるくらいなんだぜ。響きが感動を生むんだ。それだけじゃない。悲しみや喜びも響きで伝わる。事実そうやってお金を稼いでる、アーティストみたいな人がいっぱいいるだろ。」
うん。
「それとこの楽器がどう関係するのよ。」
「響きで人を操れると思うんだ。」
男の子は再び顔をあげて言う。
ふうん。わたしは答えた。
「響きで人を操って、どうするの?」




「世界征服。」
男の子は何のためらいもなくそういった。





男の子の世界征服が成功しないように、わたしは今日もヴァイオリンを練習している。

2010年5月16日日曜日

04:透明なからだ


 帰り道に金魚を拾った。街灯と見分けられないくらい月が大きく明るい夜だった。電柱の短い影の中にうずくまっていた小さな金魚を私は拾った。両手で。
 部屋までたどりつくと金魚の世話は右手にさせて、左手ではコップに水を張った。コップの底にひとつ、透明なビー玉を落とした。そして金魚をコップに移した。崩さないよう慎重に移した。
 という設定。
 にあの子も乗ってくれていて、私たちは毎日ふたりで金魚の世話をした。毎朝コップの水とビー玉を替える。ふたりともが大学に行っているあいだも、部屋を真っ暗にはしないようにする。毎晩クラシック音楽を聴かせる。
「喜んでる?」とあの子が訊ねる。選曲はぜんぶあの子に任せていた。
「喜んでるよ」と私は答える。私はだいたいの曲を気に入ったけれど、金魚は不満そうにすることも多かった。
 そういう日々が続いた。
 好きなものや嫌いなもの、動作や表情、人間のことばの中で意味のわかるもの。金魚の設定はどんどん増えた。後からなかったことにした設定もあった。私たちふたりはまったく金魚の神様だった。
「金魚が死んだ」とあの子が言ったのは、私のほうが遅く帰った夜だった。
「やたら水面をつつくからビー玉をまた替えてやろうと思ったの。古いビー玉を取り出すまではよかったんだけれど、新しいのを落とすときに、それが金魚にぶつかってしまった」あの子はそう説明した。
「それは残念だったね」私は言いながら冷蔵庫の扉を開け、ケチャップを取り出した。ビー玉と、金魚の動かなくなった透明なからだが横たわるコップの中に、ケチャップをちょっとだけこぼす。コップを持ち上げて少し揺らすと、ケチャプの糸がはらはらと崩れた。
「それは?」とあの子が訊ねた。
「リアリティ」と私は答える。
 薄いケチャップ水をふたりで交互に飲んだ。ビー玉だけ残った。埋めようとあの子が言うからそのビー玉だけは台所のネギのところに埋めた。他のビー玉はまだ部屋中に散らばっている。あの子とは別れちゃってもう一緒に部屋に居ることもないから、どうせあと少しの命だったよなあ金魚、と思う。


   透明なからだ あたしたちがまざりあっても誰も気づかないんだ

2010年5月9日日曜日

03:集合団地



***

やたらとぐらぐら揺れる箱を降りて、長いコンクリートの廊下を2回右に曲がったところに部屋がある。
割り当てられたにしては気に入っている、奥行きのある長方形の角部屋は、
ガラス製のローテーブルとこぢんまりとした乳白色のソファ、
ベランダにある誰かが残していった雨ざらしのアロエの鉢、
そんなものが見渡せる小さな部屋だ。
それらに洗面台とユニットバス、玄関ドアと僕を合わせると、結構おさまりのいい状態になる。


僕は丁寧に靴を脱いで上がり、ちょうど2回の呼吸をおいてソファへ腰かける。
カーテンのないただひとつの大きな窓には、夜明けの空にあらわれる、あのふわふわとしたクラゲがいくらかただよっていて、
正面の壁に透明なからだのやさしげな色を反射させている。





物音がしてクラゲたちがさざめくので、僕は窓の外に備え付けられた箱の扉を開き、
金属製の円筒に顔を近づけ、ボブディランを2フレーズ歌った。
それから円筒のふたをしっかり閉め、もう一度扉の中へおさめて、レバーを引く。
それは静かに下の住人へと届く と僕は思っている。


なじみのクラゲを何匹か部屋に招いて、ユニットバスに水を張ってやる。
彼らが音楽を奏ではじめたら、僕はそのメロディを口ずさんでみて、口に合えば、明日使う。
合わなければ、ひととおりの挨拶を交わして、彼らは帰っていく。
上も下も右も左も たぶん同じような部屋があって、
奥行きのある空間があって、
おそらく同じような歌が生まれている 

と僕は思っている。

***

riri*

02 : 角砂糖


その夜の光はとても美しく そして正確な立方体だった。

昼間の日から切り抜かれたそれが 月からゆっくりと飛来する間
僕らの住む町はひどく安心感のない ひどく研ぎ澄まされた光に
包まれることになった。

集合団地の側面に敷き詰められた窓ガラスは 嫌な音を立てながら削り取られてゆき
青みのかかった暗闇で 信号機だけが弱々しい点滅をくりかえす

誰も何もが息もせずにただその光の着水だけをじっと待っていた。

三度の長く重い瞬きの間に
枝から一枚の葉が生まれ、育ち、枯れていくような
一切を押し殺した静寂を経て

その立方体は八つのうちの一つの頂点から ゆっくりと湖面に溶け出してゆく

音はなく、湖面にはただ幾重もの円が正確な中心を保ったまま 生まれてはそっと消えていく

僕はそれを本当に美しいと思ったし
今となってはその立方体が完全に溶けきってしまうのが少し心惜しかった。


空が、町が、呼吸を取り戻す

青く染まった世界に 静かな朝が来る。


2010年5月8日土曜日

01:ヒツジ



***

ねむれない夜に数える あの100匹のヒツジは
睡眠にまつわる あらゆることを知っているから、
こまったときには ヒツジを数える。

ヒツジのあのふわふわの中には、
まくらのいちばんベストなかたちも、
あたためたミルクに入れた角砂糖のかきまぜかた、
ちょうどよくおさまりのいいからだのまるめかた、
じょうずなふとんのしわのよせかた、
ひとりひとりにぴったりの こもりうた、
ヒツジはみんなじょうずに隠している。

夜が明けると、
100匹のヒツジは それぞれ大きなかさを開いて、
くものうえからさかさまに するすると降ろして、
かさこそとおしゃべりをつづける夢を すくっていく。
夢たちは かさに気づくと、 けらけら笑う。

ひょいとすくった ソレ を、
ヒツジたちはていねいに ガラガラにおさめる。
くすくす笑う声を聴きながら、
こわがらせないように ゆっくりゆっくりガラガラを回す。
からころところがる音がしなくなったら、
型に流して 180度で 焦げ目がつくまでじっくり焼く。
水分が多いとぺしゃんこになるけど、
ヒツジたちは、ナイフとフォークできれいに残さずたべる。

ごちそうさま、と言う。

ヒツジたちは、
何も言わずに 柵をとびこえて明日へゆく。
世界が眠りにつくその日も、
夢の中の待ち合わせスポットも、
会いたいひとの探し方も、
ぜんぶ知っていながら。

今日も夜が満ちて、 そして 夢がはじまる。

***

riri*